2011年当時、私は日本で有名なITプラットフォームにおける広告システムの配信システム基盤の責任者として働いていました。そのとき、3月11日の東日本大震災が発生したのです。
当時、個人最適化広告配信システムでは、大規模災害発生時への対策が行われていませんでした。このため、「福島で○○人が亡くなった」などと震災を報じるニュースコンテンツには、「お仏壇は○○で」や「お葬式のご用命は○○まで」などといった、葬儀やお墓を宣伝する広告が表示されてしまいました。
普通の神経で考えて、このような広告配信は、被災者の感情を逆なでするものでしかありません。しかし、ほかのITプラットフォームでも、同じような広告が配信されていました。多くのITプラットフォームは広告収入を主要収入源としており、また、資本主義のロジックとは「そこでおカネが生まれる機会があるなら、どんな場合においても、徹底的に利益を追求する」ことにあるでしょうから、コンピュータは、「死者が多数発生したときには葬儀やお墓を宣伝する広告を配信する」という計算結果を出すことになるのです。
私たちのチームは、できるだけ早くこのような広告配信を停止しようとしました。しかし、大規模災害対応アルゴリズムはシステムに実装されていなかったので、名案はありませんでした。個人最適化配信をすべて止めてしまうと、広告収入で経営が成り立っている会社に経済的な打撃を与えてしまいます。震災に関するニュースコンテンツは膨大にあるため、コンテンツごとに広告掲載を止めるのは、運用に無理があります。私たちは会社で徹夜し、頭を悩ませました。
そのとき、チームメンバーのMが解決策を思いつきました。守秘義務があるため詳細について書くことはできませんが、それは、とても泥臭い、人間的なアイデアでした。そのM案を実行したことによって、私たちのITプラットフォームでは、仏壇と葬式の広告配信が完全に停止しました。
翌日の新聞に記事が載りました。「日本のインターネット企業のほとんどは米国資本の企業です。そのため、福島で大きな悲劇があったにもかかわらず、多くのITプラットフォームではお墓や葬儀の広告が表示されていました。しかし、○○(私たちのITプラットフォーム)だけは広告が災害情報に置き換えられていました」。
コンピュータは「痛み」という言葉を知っていたとしても、「痛み」を感じることはできません。東日本大震災におけるITプラットフォームのあり様は、そうしたことを痛感する経験でした。最終的には、人間にしか感じることのできない「痛み」をITシステムに介在させざるをえないのです。これが、ITと物語(人間)をつなげる、ということだと私は考えます。ITエンジニアとして、私が最も誇りに思う仕事です。
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